大阪ローカルニュース

2026/07/10

大阪に古墳があった──低湿地の常識を覆す守口の発見

「低湿地に古墳はない」——その常識が覆された日

大阪府守口市。梅田から電車でわずか10分ほどの距離にある、どこにでもある住宅街。そのありふれた街の地下に、考古学の常識を覆す発見が眠っていました。

1989年(平成元年)、市営住宅の建て替え工事に伴う発掘調査のさなか、作業員のスコップが思いがけないものに触れました。全長37メートルに及ぶ前方後円墳——正確には、前方部が後円部より短い「帆立貝式古墳」——が姿を現したのです。

この発見が考古学界を驚かせたのは、古墳そのものの存在だけではありませんでした。守口市が位置するのは、古来から「低湿地」として知られる大阪平野の東縁部です。当時の学界では「低湿地には古墳は造られない」という見解がほぼ定説として共有されていました。土地が軟弱で、巨大な墳丘を支えることができないからです。ところが地中からは、疑いようのない古代の構造物が出てきました。

全国で2例目——牛形はにわの謎

発掘がさらに注目を集めたのは、墳丘とともに出土した副葬品の存在でした。なかでも研究者たちの目を引いたのが「牛形はにわ」です。

はにわといえば、武人や巫女、馬などを模した素焼きの焼き物が一般的です。しかし牛を模したはにわは、当時の全国調査でも2例目という、きわめて珍しいものでした。なぜこの地に牛のはにわが供えられたのか。古墳の被葬者はどのような人物だったのか。出土から30年以上が経つ現在も、謎は完全には解き明かされていません。

牛形はにわのほかにも、さまざまな「形象はにわ」が多数出土しました。形象はにわとは、人物や動物、家屋など具体的な形を模したはにわの総称で、被葬者の生前の身分や権力、信仰を映す鏡とも言われます。それらが一つの古墳からまとまって出てきたことは、守口の地に相当な権力を持つ人物が存在していたことを示唆しています。

守口の地下に眠る、もうひとつの歴史

古墳だけではありません。守口市内の遺跡からは、時代をさかのぼるさまざまな出土品が見つかっています。

長池町遺跡からは弥生時代中期の土器が出土しています。「櫛描流水紋(くしがきりゅうすいもん)」と呼ばれる、櫛状の道具で流れる水のような模様を描いた壺です。弥生人がこの地で暮らし、水辺の恵みを受け取りながら生きていた証しといえます。

八雲遺跡からは奈良時代の「人面墨描土器(じんめんぼくびょうどき)」も見つかりました。土器の表面に墨で人の顔を描いたもので、呪術的な用途に使われたと考えられています。病気や災いを払う祈りの道具だったのかもしれません。文字も記録も乏しかった時代の人々が、どのような不安を抱き、何に祈っていたのかを想像させる遺物です。

古墳時代から弥生時代、そして奈良時代へ。低湿地と呼ばれたこの地は、長い年月をかけて幾度も人が営みを重ねてきた場所でした。

図書館の片隅で、古代に触れる

これらの出土遺物は現在、守口市立図書館1階の「郷土資料展示室」に展示されています。梅田から10分の街に、考古学の常識を塗り替えた古墳の証拠が、ひっそりと並んでいます。

歴史的な大発見というと、辺境の地や山深い遺跡を思い浮かべがちです。しかしそれは、都市部の地下にも等しく眠っています。マンションや商業施設が立ち並ぶ大阪の日常風景の足元に、古代の権力者が牛のはにわとともに葬られていた——その事実は、私たちが踏みしめている大地の重さを、少し違った目で見させてくれます。

守口市は2026年、市制施行80周年を迎えました。節目の年に改めて掘り起こされた「地下の歴史」は、現代の守口に静かに問いかけているようです。この街が積み上げてきたものの厚みを、あなたはどれだけ知っているか、と。

展示情報

  • 場所:守口市立図書館1階「郷土資料展示室」(大阪府守口市大日町2-14-10)
  • 開館時間:9:00〜21:00(時期により変更あり)
  • 休館日:毎週火曜日・年末年始(12/29〜1/3)
  • 入館料:無料

(情報元:守口市広報 2026年7月号「守口市今・むかし、そして未来へ〜守口に古墳が!?」)